こんにちはTakaです(^^♪
日々の生活の中で山あり谷ありある中でどのように安定的に暮らしていくかにフォーカスして考えていき、発信するサイトであります。
マラソンを生活に取り入れていくことで人生をマラソンに例えられるのではないかとの考えてます。
あなたは運動不足を理由にマラソンをしたりしたことはありませんか?マラソンを継続できてますか?
私がマラソンを続けることで、得られた事走るスキルだけでなく他にもいくつかあることを経験談も交えて紹介させていただきます。
マラソンとの出会い
私は幼少期のころから気が付いたら走ることが得意だと気が付きました。初めてのマラソン大会は幼稚園の頃でした。何人で走ったのか順位は覚えてませんが上位であったことは覚えてます。マラソン大会では小学校、中学、高校でもほとんど5位以内にははいっていました。
高校を卒業し、その後は日々不健康な生活暴飲暴食の生活をした結果30歳過ぎたころには体重93キロまで増えてしまいました。身長は180cmあります。
高校生の頃ラグビーをしていたこともあり、食べる量が本当に多かったこともありどんどん体重が増え続けてしまいました。階段を上ることも身体が重くてつらいなと思うほどでした。
体重93キロ!身体が重い!このままではいけないと思い、あらためて30過ぎて生活の中に週に2回ジョギングする事をダイエットや健康のために運動をとりいれたのがきっかけでした。週に2回~3回5キロ走る事から始めました。
ゆっくりととにかく決まったコ-スを走ってました。高校生の頃ラグビー部に所属していて体力には人一倍自身があったので、少しやれば昔のように軽やかに走れるさと思ってました。これがマラソンとの出会いでした。
マラソンを続ける事での成果
とにかく重かった体重を減らしたい一心で走ることはやめませんでした。揚げ物はたくさん食べるし、米もたくさん食べるし、昼ご飯もコンビニ弁当2つに加えカップ麺も食べていたのでなかなか瘦せてはきませんでした。
それでも以前は一切運動はしなかったので、少しずつ少しずつ体重は減ってきました。そんな生活を1年位続けていました。暑い日も寒い日もとにかく走り方格好も気にせず走り続けました。
健康的なことをすると意識はしてませんでしたが、おそらく食べる量も減っていき85キロほどまで体重が減りました。85キロでも十分重いのですが、
その頃はとても満足してました。結果が付いてくるともっともっと頑張ろうと思い、少しずつ走る距離も増やしていきました。10キロ走ることもありました。
体重が減った喜びと長い距離を走ることができたことの喜びの両方を感じられ続ける事の成果が得られとても生活が充実したものになりました。
マラソンのレベルアップ
軽めのマラソンを続ける事1年ほどたったころ、会社の駅伝部に入らないかとの誘いがありました。特に断る理由もなかったので入部しました。
駅伝部のレベルは野球でいうと草野球チームくらいのレベルでマラソンが好きな人がただただ集まった感じのチ-ムでした。
1月に全国の会社のチ-ム26チ-ムが集まり7区間に分かれて男子5区間女子2区間男子は4キロ女子は2キロの距離を走り、たすきをつなぐという駅伝大会がありました。
チ-ムによっては箱根駅伝経験者がいたりもしましたが、7人の合計タイムになりますので、平均的に速い人がそろっていれば、上位に入れることもありました。
うちのチ-ムは平均的に速く、優勝もするほどのチ-ムでした。
入部当時は私よりも速い人ばかりだったのでレギュラ-には入れませんでしたが、前座のレ-スに走らせてもらってました。優勝するほどのチ-ムだったのでレギュラ-になろうなんて1ミリも思ってませんでした。
3年位駅伝部に入って月日がたち、4年目の時にエ-スのM君が会社を辞めることになり、レギュラ-の枠が一つ開いてしまい、その当時に走れる候補が私しかいませんでした。1ミリも本戦で走るつもりがなかったので、
M君の退職は残念でしたが、少し本戦で走ってみたかったので、少しうれしかったのを覚えています。
このことがきっかけで、追い込んだ練習もするようになり年齢もすぎてましたがすでに35歳過ぎてましたが、徐々に速くなっていきました。
本戦に初めて走らせてもらい、緊張はしましたが日ごろの練習の成果も出せて、微力ながらなんとかチ-ム優勝にも貢献することができました。
始めたころとは比べ物にならないくらいそのころになるとシェイプされ、体も軽くなり別人の様になりました。そのころでおそらく78キロ位です。
会社の人からの印象も相当変わったのか以前より扱いもよくなってきました。走ることにより生活が楽しく充実するようになってきました。
ますますマラソンがやめられなくなりどんどんのめりこむようになりました。
フルマラソンへの挑戦
会社の部活中でも駅伝部は毎年優勝していたので会社からの評価も高くとても目立ってましたので、これをきっかけに仕事も合わせて上昇したいなと思ってましたが、仕事の方はなかなか上昇しませんでした。
しかし、マラソンに出会ってなければ、体も重く以前のままだと病気になり、会社を辞めていたかもしれません。マラソンのおかげで毎日元気に働くことができていたこととおもいます。
駅伝部に刺激をうけて社内でもマラソンが流行り本社の上司たちもマラソンにはまるほどでした。
上司のY課長に誘われてつくばマラソンに出場したのがきっかけで、フルマラソンに初めて走ることになりました。
初マラソンは長距離の練習もしてませんでしたし靴も適当な靴で走り、結果は3時間48分ほどだったのを覚えてます。
Y課長にも36キロ地点で抜かされました最後の6キロは足の疲労で走れなくなり沿道の応援者からリタイヤのすすめもあるほどでしたが歩いてなんとかゴ-ルすることができました。
レ-スが終わってからの後は歩くのがやっとの思いで特に階段を下りるのが辛かった思い出があります。
フルマラソンを頑張って走ることは、走ったことがある人にしかわからない想像を超えた過酷なものでしたが、
走り切った後の達成感は最後まで走り切ったという満足感でいっぱいになりました。初めて42.195キロを走り切った喜びと、途中で足が疲労で動かなくなった悔しさでもっともっと練習して速くなってやるという思いが更に強くなりました。
フルマラソンの記録への挑戦
駅伝部の走る仲間や本社の上司からの大会参加への誘いなどマラソン熱が上がる要因が加速していき、通勤するときも走っていたり、
帰宅するときも20キロ走って帰ったりし更に休日は30キロ早起きして走ったりしてて日々とにかく練習を重ね月間平均300キロを超える距離を走ってました。
そのころには東京マラソンやつくばマラソン、はなももマラソンで3時間を切れるようになってました。
最高タイムは第一回はなももマラソンで2時間50分30秒ほどで走れるようになってました。なんとか2時間50分を切れるように頑張って練習を重ねましたが、なかなか体の調子を整えたり練習量が足りなかったりして、2時間50分切ることはできませんでした。
現在ではしなく限界を感じたのでフルマラソンに出場することもしなくなりました。2時間50分の壁は思ってたより高く思っていたより難しかったと思いました。
まとめ
私は物心がついたころからマラソンが得意だと思っていてマラソン大会になると意識して上位を目指して頑張って走ってきました。
社会人になると不健康な生活をして体重も93キロに増え身体も動かなくなるほどでした。しかしマラソンに再び出会い、継続して続けた結果健康を取り戻し、フルマラソンでの記録への挑戦をしてきた結果かなりのレベルアップもできました。
このことにより私が得たものは4つあります。
- 仲間
- 健康
- 挑戦するマインド
- あきらめない心
これからもマラソンはやめないで続けていけばもっともっと人生おいての大切なことが得られるでしょう。
そう思うから私は走ることを身体が動く限り続けていきます。日々の生活に置き換えられる場面が沢山あると思います。人によっては色んな人生があるようにマラソンの走り方も色々あると思います。色んな走り方、生き方を試してみたいと思います。
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